運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
38件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

  • 1
  • 2

2021-02-17 第204回国会 衆議院 予算委員会 第12号

国体護持至上命題とし、本土決戦を遅らせるための捨て石作戦で、日米合わせて二十万人以上が犠牲になりました。最も多かったのが住民犠牲者で、約九万四千人です。その半数以上が南部で亡くなったものであります。なぜ南部犠牲が集中したのか、当時の日本軍責任が重大であります。  当時、学徒たちを動員して、ちょうど火災で焼失した首里城首里城の地下には、第三十二軍司令部ごうが動員によって造られました。

赤嶺政賢

2017-06-08 第193回国会 衆議院 憲法審査会 第8号

ところが、当時の日本政府憲法改正は必要ないとの立場であり、さらに、国体護持に固執しました。毎日新聞がスクープした政府案は、天皇は君主という一条から始まり、内外から批判を浴びました。そのもとで、国民主権の原則を打ち出したマッカーサー草案が提示されましたが、国体護持派は、主権を有する国民とあった部分を日本国民至高総意という文言にした憲法草案を国会に提出し、最後まで抵抗しました。

赤嶺政賢

2017-04-13 第193回国会 参議院 外交防衛委員会 第12号

一九四五年の沖縄戦では、その前年、一九四四年に、沖縄防衛の名の下で日本軍が第三二軍を配備し、国体護持のために持久戦として軍は県民に対して軍民共生共死徹底抗戦を指示したことから、四人に一人とも言われる県民犠牲を生む悲惨な地上戦となりました。  軍隊があるところが軍事目標となり戦場になるというのが沖縄戦の教訓であり、多くの県民の実感なのです。

伊波洋一

2016-01-06 第190回国会 衆議院 本会議 第2号

沖縄は、第二次世界大戦の末期、本土決戦国体護持のための捨て石にされ、県民の四人に一人が犠牲になった苛烈な地上戦が繰り広げられました。戦後もサンフランシスコ講和条約第三条によって本土から分断され、その後も米軍統治下に置かれ続けました。そのもとで、国際法にも違反し、住民の土地が強権的に奪われ、広大な米軍基地は構築されたのであります。この歴史を総理はどう認識しているのですか。  

穀田恵二

2012-07-26 第180回国会 衆議院 本会議 第30号

沖縄戦は、国体護持本土防衛捨て石だったと言われておりますが、総理はそのような認識をお持ちか、尋ねます。  第二次世界大戦を終結させるためのサンフランシスコ講和条約によって日本が独立を達成した後も、沖縄は、日本から施政権が分離され、アメリカ軍事支配のもとで無憲法状態に置かれたまま、この国の安全保障犠牲にされ続けました。総理は、かかる沖縄の戦後史をどのように理解しておられるのか、尋ねます。  

照屋寛徳

2007-04-03 第166回国会 衆議院 安全保障委員会 第6号

沖縄戦戦史研究者や多くの学者、そして沖縄戦の生き証人たちのほとんど一致した意見は、沖縄戦国体護持のための捨て石であったということであります。軍民混在戦場と化した沖縄戦戦闘員よりも非戦闘員が多く死傷した沖縄戦、さまざまにとらえられる沖縄戦実相に照らし、久間大臣は、初代防衛大臣として沖縄戦実相についていかなる認識をお持ちか、明確な御答弁を求めます。

照屋寛徳

2005-04-25 第162回国会 衆議院 決算行政監視委員会第一分科会 第1号

それを受けて日本政府は、八月八日、九日、十日と、当時、最高戦争指導会議構成員会議で、天皇の御聖断によって、八月十日の午前七時に、国体護持を前提に、電報で受諾をするその趣旨を、アメリカ、そして中華民国、スイスを通じてイギリス、そして別途、スウェーデンを通じてソ連邦に対して転達を依頼したわけでございます。  八月十一日、我が国に対して回答がありましたが、これに対して軍部は反発をした。

中山泰秀

2002-07-04 第154回国会 衆議院 憲法調査会政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会 第5号

名目的であれ、天皇を中心とする政治体制であるというこの点、さらに、天皇統治という概念の中に、先ほど申し上げましたけれども、公議衆論の尊重だとか人民の福祉の増進だとか、そういったものをも含むというふうに考えるべきだろうと私は思いますし、当時の国民たちも、そういうふうな理解のもとで、ただ天皇個人あるいは皇室だけが助かろうということで国体護持を言っているのではないという理解だっただろうと思うのです。

八木秀次

2002-05-20 第154回国会 衆議院 武力攻撃事態への対処に関する特別委員会 第7号

国体護持すなわち、天皇を守るためには、老幼婦女子一般住民の生命が犠牲になることをためらってはならないということであります。敵が一般住民を盾に使ってきても、ちゅうちょせずに攻撃しろということです。日本軍住民殺害、虐殺は、大本営の方針であったのです。  

東門美津子

2002-04-25 第154回国会 衆議院 憲法調査会 第3号

これは昔で言う国体護持じゃないですか。沖縄ではかつて、日本じゅうでも、国体護持の名でどれだけ多くの人が犠牲にされ、虐殺されていったことか。こういうことを考えれば、国家の安全保障という名のもとに私たちは再び戦争に動員されていく、そのような法律が制定されようとしていることには絶対に反対です。  

野澤明希子

2001-02-21 第151回国会 参議院 憲法調査会 第2号

当時の松本案では明治憲法と同様に国体護持が主張され、政府改正案でも天皇制について国民至高総意と規定するなど、いわゆる国民主権は明確ではなく、むしろ天皇主権を擁護するものでありました。  こうした中で、日本共産党は、主権在民を明記した案を提出いたしました。明確に主権在民を主張した草案を提起したのは、当時の政党の中では日本共産党だけであったように思います。

橋本敦

2000-05-11 第147回国会 参議院 文教・科学委員会 第16号

それでは、今私が申し上げました、昭和の時代の中で我が国にとって唯一地上戦が展開された沖縄戦、あの沖縄戦は、いろんな戦史研究家がこぞって、文字どおりこぞっておっしゃっているのは、国体護持のための捨て石であった、こういうふうに言っているわけです。  発議者は、沖縄戦にはどういう御認識を持っておられるんですか。

照屋寛徳

2000-04-27 第147回国会 衆議院 憲法調査会 第8号

GHQの民主化の提起に対して、当時の日本政府国体護持重視という構図も明らかになったと思います。その結果として、主権在民基本的人権平和主義などの近代社会の原理が表現をされる憲法ができ、国民に歓迎され、今日まで定着をしてきたのであります。押しつけだから自主憲法をという意見とは立場を異にします。  さらに、多くの人々から強調されているのは、二十一世紀の日本の進路の重要性であります。

伊藤茂

2000-04-20 第147回国会 衆議院 憲法調査会 第7号

今の平沼先生お話を聞いて、私、この資料のもう一つの方、「戦後日本外交史」という昨年私の編著で出版したもののあるページが先ほどの「憲法意識の変遷」のグラフでありますが、その中の占領を扱ったところのコラムにも書いたのですけれども、ひいおじいさんの平沼枢密院議長さんは、日本ポツダム宣言を受諾するに当たって、御承知のように、陸軍は、徹底抗戦本土決戦を主張し、それに対して外務大臣東郷外相は、国体護持ということの

五百旗頭真

2000-04-19 第147回国会 参議院 憲法調査会 第6号

それにもかかわらず、当時の旧権力国体護持にのみ腐心してその責任を果たす意思も能力も持たなかったために、天皇制護持を踏まえたマッカーサー草案が出されたというのが歴史的事実であります。その点で、旧権力にとっては押しつけであったかもしれませんが、現憲法日本における民主主義の発展を願う日本国民に歓迎されるものであったのであります。  

橋本敦

2000-03-09 第147回国会 衆議院 憲法調査会 第4号

戦後は、そこから出発し、ポツダム宣言が、日本民主化と、軍国主義の一掃というところからスタートをしているわけでありまして、この憲法制定過程というのも、お話にありましたように、連合軍、あるいは日本から侵略を受けた国々、アジア諸国等々の国際世論日本国内世論占領者アメリカ、それから国体護持を堅持する日本政府、こういう四者のいろいろな関係の中で展開したというふうに思うのであります。  

佐々木陸海

2000-03-03 第147回国会 参議院 憲法調査会 第3号

そして、そういう時期に私たち日本共産党憲法草案を発表いたしましたけれども、その一つは、やっぱり主権国民にあるということを明記しなくてはならない、国体護持ではなくて国民主権なんだ、そのことを憲法にはっきり明記しなくてはならないと主張いたしまして、一条に主権の存する日本国民総意に基づいて天皇の地位もあるんだとか、あるいは前文にもそういう旨が書き込まれておりますけれども、そういう立場でまず主権国民

吉川春子

2000-02-24 第147回国会 衆議院 憲法調査会 第3号

先ほど話が出ましたように、自由党や進歩党などは国体護持という到底受け入れられない憲法草案を出しておりましたけれども、戦前の時代に、民主主義のために闘い、治安維持法などで過酷に弾圧されてきた日本共産党などにとっては、日本国憲法の新しい内容は、単なる押しつけというようなものではなくて、我々は当時天皇制の廃止まで主張していたわけですけれども、それは当然のものだったということになるわけであります。  

佐々木陸海

  • 1
  • 2